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第5号、2011年07月8日発行

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タイ旅行記 その2 眠れる美児と親切な少年(印刷用pdf)        

藤澤すみ子

エマウス・メディカル・ジャパン株式会社 代表取締役 文筆家

612日:2日目の午後

ビルマ軍に破壊されたワット・プラ・シー・サンペットを案内しながら、ワット氏は、ミャンマーへの恨みを語った。「いまでも、タイの人は、ミンナ、ミャンマーがキライ。タイの人、ケンカ大嫌い。ミャンマーが悪い」
 お隣とは仲良くできないのは、どこの国でも同じこと。誰にでもにこやかに応対する柔軟な民族性のタイでも、やはり、隣国だけは目ざわりらしい。
 ワット氏の「ちょっと」うるさい日本語BGMとは対象的に、アユタヤの寺院は静かに佇んでいた。野良犬と威勢のいい屋台のおばさんたちが、時の流れを感じさせる建築物に色を添えていた。

かけた石造りの塔や、朽ちかけた柱は、18世紀に、滅びたころと同じ形をしているのだろうか、元々はどんなに賑わっていたのだろうか、色はどんなふうに変化していったのか、と頭の中で時の早回しを試みるのだが、世界遺産となって、観光地化され、人の手が入った様子が目につくと、急に心が白けてしまう。日本国内であろうと、海外であろうと、遺跡と言われるところを散策すると、いつも同じ思いにかられる。

 日が落ちてから、ワット氏は、我々をまた同じ場所へと導いた。ライトアップされたアユタヤの遺跡を見て欲しいという。車の窓から見た遺跡は、宙に浮いているかのようにも見え、幻想的な空気を醸し出そうとしている。が、きれいだけれど不自然で、喉元にひっかかるものがある。

車を降りようとしたとき、ふいに東京ディズニーランドのビッグサンダーマウンテンが浮かんだ。灯りに浮かび上がる姿がよく似ている。不自然さの意味がわかって喉元がすっきりした。灯りのない時代に出来たものを、なぜライトアップするのかと、しぶしぶ遺跡に近付くと、蚊の大群に襲われた。払っても払っても、顔や手に蚊が飛びついてくる。記念撮影に忙しい夫とガイドを残して、さっさと車の中へと逃げ帰った。

 

613日:3日目
 カンチャナブリへ向かう途中で、ワット氏は、ドライバーに車を止めさせた。「ちょっとヨリミチね」
 車を降りると、両側には土産物屋が拡がっていた。ツアー客用の店ではなく、町のおじさん、おばさんが開いている店に入ろうとすると、前に立ちはだかって「ダメヨ、汚い、タカイ」と言う。幸か不幸か、他に参加者のいない我々夫婦2人だけのツアーだから、ガイドの目が隅々にまで行きわたり過ぎて、自由がきかない。 しぶしぶワット氏についていくと、線路に行きついた。道路の真ん中をレールが2本走っている。

「線路のイチバです。電車が来ると、シナモノ動かすヨ」

 2本の線路の間に立って、ワット氏は自慢げだ。

「グッタイム。フジサワさん、ラッキー」

 物を売っていた人々が、わさわさと動きだした。線路の両脇に並べられていた品物が、素早く奥に引っ込められ、テントが畳まれ、そこに居合わせた人々はみな同じ方向を向いた。電車が来たのだ。

 シャッターを数回押している間に電車は市場を通り抜けて行った。電車の後姿にしばし見とれ、電車が見えなって振り返ると、既にテントが張られ、奥に引っ込めたはずの品物は線路上に広げられている。

 果物、野菜、カエルの蒲焼、蝿のたかった生肉、表皮が乾き始めた魚、なんでもありだが、冷蔵庫はない。ときどき、溶けかかった氷を魚にかけている女性を見かけたが、それこそ焼け石に水ならぬ、渇き魚に水。衛生管理なんて呑気なことを言う人はいない。人間のほうが蝿や黴菌よりずっとでっかいし、強いはずだ。負けてなんかいられない。

震災に遭わなくても、もとから節電しているタイの女性たちのたくましさに元気を貰って、カンチャナブリへと向かった。JEATH戦争博物館、連合軍共同墓地を見たのち、クワイ河にかかる鉄橋まで来た。

 戦争にまつわる悲惨な話は、どこの国にも、どの時代にもある。人間はときに血で血を洗いあう。その現実から目を逸らしてはいけない場所に、私たちはいた。偶然、平和な時代に生き合わせていることをあらためて考えさせられながら、クワイ河鉄橋を渡った。

 汽車を待つ間に、手洗いをすませようと、周囲を歩いたが中々見つからない。川岸のほうへと階段を下りると、ようやく手洗いの看板が見つかった。周りには店もなにもなく、ひっそりとしている。観光客で賑やかな鉄橋周辺からは、死角に入る場所だ。

入口に小柄な中年女性が立ち、私に手招きしている。近づきながら、私は息を呑んだ。そこには女性の腰の高さのテーブルがあり、この世のものとは思えぬほど美しい赤ん坊が横たわっていたのだ。

枕元には、5バーツと書いた箱が置いてあった。テーブルから男の子の足がはみ出ている。赤ん坊というには大きすぎるかもしれない。1歳半は過ぎているだろうか。寝息ひとつ立てず、手も足も動かさず、眠っていた。

5バーツを箱に入れ、手洗いを済ませ、化粧直しをして、また外にでる。子どもは、私が入ったときと同じ格好で、相変わらず身じろぎもせず、死んだように深い眠りについていた。姿があまりにも可愛いので、カメラを取ると、女性は笑顔で、子どもが写りやすいように、5バーツと書いた札の位置を変えた。
 シャッターを押した瞬間、眠らされているのか、と閃いた。テーブルは狭くて、子どもが寝返りを打ったら落ちてしまう。ベッドガードもない。女性を見ると、子どもに全く似ていない。
 男の子は彫りが深く、ルネッサンス時代の天使の彫像を思わせる印象的な顔をしているが、平べったい顔の女性は、一重まぶたで瞳が小さく、皺が多い。幼子の母親にしては年を取り過ぎている。
 のんびりと旅を楽しんでいる自分が、彼らの幸福を食って生きているような気がしてならなかった。
 その場を離れた後も、いつまでも、美しい寝顔が私の瞼の裏にちらついてならなかった。眠れる美児がどんなふうに育てられ、どんな少年になるのだろうかと、いつまでも脳裏から離れなかった。
 ホームに戻ると、夫とワット氏が、丸太を横たえただけのベンチに腰掛けて談笑していた。眠れる美児の話をすると、おしゃべりなワット氏は口を噤み、私から目を逸らした。
「どこの国も、子どもをもつお母さんは大変だね、タイも保育園が足りないんですか」と夫が言うと、ワット氏は「汽車が来たら、写真を取ってあげますから、窓から顔を出してクダサイ」と話題を変えた。
「一等車は、お菓子つき、飲み放題ヨ。フジサワさん一等車、ワタシ二等車」 ようやくガイドのおしゃべりBGMから解放されるらしい。夫と目を見合わせた。 一等車とは言え、戦時中のままの姿を残しているという列車の天井にはクモの巣が張り巡らされていた。捕虜となった米兵の写真等、戦時中を彷彿とさせるものがあちらこちらに貼り付けてある。木のベンチは座り心地が悪い。二等車はどんな車両なのか、どんな写真が貼ってあるのか、ぜひ、行って見たかった。
「アッチは行かないほうがイイヨ」
 奴が離れたら自由に動き回れる、とその場はおとなしくワット氏に従う。

 列車が走りだすと、すぐに若くてハンサムなスチュワードがおしぼりを配りに来た。続いて、お菓子と水の入ったランチボックスが配られる。
 きれいな青年たちだな、と見とれていると、ワット氏が私に「ああいう顔はミャンマー人ヨ」とささやいた。
 ガイドは、とうとう我々の真横の座席を陣取ってしまった。ランチボックスもちゃっかり手に入れている。彼のチケットは二等車用だったはずなのに。
 クワイ河の鉄橋を渡った列車は、切り開いた岩山の間を通り抜け、広大なサトウキビ畑の中を抜けて走り続けた。
 窓を全開しているので、ものすごく速く走っているように感じる。ときおり止まって、駅舎もホームもない駅で、数人の客が乗り降りしていた。
 お節介なガイドは、いつまで待っても二等車に行ってくれる様子もない。奴が車窓の景色に目を向けているとき、こっそり二等車に行こうと立ち上がった。瞬間、列車がひどく揺れて転んだ。よけいガイドの視線を集中させる結果となってしまった。
 列車は揺れるばかりか、窓から入る風もすさまじい。ガイドへのささやかな抵抗は完遂せず、とうとうナムトク駅に到着。
 おだやかに流れる川のほとりには、リゾート用のバンガローが並んでいた。食事を楽しんだあと、木で造られたアルヒル桟道橋を歩いてカセー洞窟を観た。

日本軍が立て籠ったという洞窟の中は、しんと静まり返っていた。幸福であることさえ認識できないぐらい平和な時代に生きている私に、究極の苦しみに喘ぎながら戦った人々のことを語る資格はない。ただ手を合わせ、頭を垂れることしかできない。

 土産物店が並ぶ通りを抜けると、いつものワゴン車が待ち受けていた。ドライバーは、とても無口でおとなしい。我々に笑顔を向けて手を合わせた。
 車が走り出して、しばらくすると、夫のいびきが聞こえてきた。ワット氏のおしゃべりに相槌を打つのは私だけになってしまう。夫をつついて目覚めさせたかった。
「息子がいたら、24歳ヨ。インターナショナルスクールで優等生ダッタ。英語ペラペラ。私の家内と息子と3人で英語でしゃべったよ」
 昨日は、英語は苦手ですと言っていたのに、と思い出しながら、そうですか、と答える私も欠伸をこらえきれない。
「ワタシ、レストラン経営していましたから、買い物上手ヨ。どこに安くてイイモノあるか、よく知ってるヨ」
 私には彼の持つ様々なストーリーの辻褄を合せることができない。適当に合いの手を入れていたが、それも辛くなってきた。
 欠伸を噛みしめた瞬間、ワット氏が語っていることは全て真実なのだ、という思いが首を擡げた。彼の妻子であった人たちがどこかで静かに暮らしているとしても、彼の中で死んだことにしなければ、彼は生きて来られなかった。
 ちょっとテレビで語ったり、映画に映ったことがあったのかもしれない。レストランというか食事を提供する場所で働いたこともあったのだろう。また、軍服を着たことも、機械を扱ったこともあったのだろう。何もかも、彼の中では真実なのだ。
 そんなふうに他者の人生を勝手に作り上げる私の創作的妄想も、ワット氏の願望的妄想も、大して変わりはない。文字にするか、口に出すかの違いだけだ。
 私の相槌が減ると、ワット氏のおしゃべりの様相が変わった。タイ語で語り続けている。誰かと電話で話しているのかとおもいきや、10分か15分に1回ていどの割合で、ドライバーが返事をする。バンコクに到着するまでの2時間半を、そうやって語り続けた。 

 バンコクに予定の時間より早く到着した。

「ドコカ行きたいですか? 遠慮しないでクダサイ。ワタシお連れします」
「いや、私と家内とで、ホテルの近辺を散歩するから大丈夫です」
「夕方、夜、アブナイです。ホテルの周り、ドコですか?」
「デパートなら危なくないでしょ」
「オッケー! では、モノレール乗って、デパート行きましょう」
 夫が私に向いて、肩を落とし、がっかりした様子を露わにした。余計なことを口走ったために、バンコク最後のフリータイムのチャンスを失った。
 威勢のいいワット氏と、うなだれながら彼についていく夫。対象的な2人の後姿を眺めながら、私は、やっぱりワット氏の妻子は生きている、という思いを強くした。こんなに密着干渉されたら、誰だって逃げたくもなる。女性も子どもも逞しく生きてほしいと願う、祈りにも似た気持ちが、私の妄想を膨らませた。

バンコク市内が雑然としているわりに、モノレールの駅は清潔に整っていた。仕事を終えてアフター5を楽しみたい人や帰宅の途につく人々がホームに立ちならぶ。車両は混雑していたが、庶民の暮らしぶりが実際に見える。乗客一人ひとりの様子がとても興味深かった。衣服、持ち物、化粧、日本とは感覚が微妙に異なる。
 あたりを憚らず周囲を見回す私の背中を、誰かがつついた。振り返ると、目鼻立ちの整った167歳ぐらいだろうと思われる少年が、席を譲ろうとしている。
 乗り物に乗って席を譲られるなんて、生れてはじめての経験だ。少年の雰囲気がとても爽やかだったので、嬉しくなって、ありがたく座らせていただく。
「コックンカー」とタイ語でお礼を言い、手を合わせると、少年も手を合わせて、口元をほころばせた。
 私がそれほど年寄りに見えたのかもしれないと思うと妙な気分だが、もしかしたら彼のお母さんに似ていると思ったのかもしれない、と自分に都合のいい理由に行きついて胸に温かいものが流れた。
 どんなお母さんに育てられたのだろう。色々な女性の顔を思い浮かべていたら、少年の顔に、クワイ河鉄橋ふもとで見た眠れる美児の顔が重なった。
 きっと、いい子に育つ。きっと、大丈夫。そう心に言い聞かせる私と、もう一度視線を絡ませ、頬笑みを残して、少年は人と人の間を縫って他の車両へと移っていった。
 まだ成長しきっていない後姿には、頼りなさと頼もしさとが同居していた。

       <了>


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