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調査・研究・旅行記
第4号、2011年7月1日発行

タイ旅行記 そのT 「暁の寺」へ(印刷用pdf)

 

藤澤すみ子

エマウス・メディカル・ジャパン株式会社

代表取締役  文筆家

 

 

6月11日:1日目

 スワンナプーム国際空港のコンコースはとても明るかった。飛行機から見た外観も洒落ていたが、内側はなお広々と朗らかな表情をしている。

 空港を出ると、70前後だろうと思われる男性ガイドが待ち構えていた。親しみを感じる笑顔で、ガイドのワットです、とタイなまりのある日本語で名乗った。

「オクサマ、ゴシュジン、なんでもかんでもワットにマカセなさいっ!」

大きな声を出し、大げさな身ぶりをつけるのが彼の特徴らしい。

 早速、ワゴン車に乗ってバンコク市内へと向かう。

「この道路はクマガイグミ、あの建物はオオバヤシグミ、ミンナ日本のおかげです、タイ国民は日本がダイスキ、日本人がイチバンのオキャクサマ」と、ワット氏は、日本へのリップサービスを延々と続ける。

 中国や韓国を旅したとき、安価なツアーを利用したせいかもしれないが、必ず、ガイドから日本への嫌みを聞かされた。だから、ワット氏の意外な言葉がちょっとこそばゆかった。歴史をひもとけば、タイはどの国からも占領されたことがなく、日本と敵対したことがない。親しみを持ってもらえるのは旅行者としてはありがたい。

 彼のおしゃべりは留まることなく、ついに、我々のプライバシーに踏み込んで来た。

「オクサマは1952年6月9日デスネ。お誕生日過ぎたバカリネ。ゴシュジン、1951年7月23日。1歳チガイですネ」

 いつ見たのか、私たちのパスポートの数字を暗誦している。これがタイ式だとしたら、個人情報の管理とか、ガイドとツーリストとの距離感はどうなっているのだろう。

「ワタシ、64歳ヨ」

 老けて見えますねとは言えない。お若いですね、とついこちらもリップサービス。

「フジサワさんウラヤマシイ。ワタシの家内と息子、12年前に交通事故でナクナリマシタ。毎日、マイニチ泣いてたヨ」

 まだ、出会って1時間もたたないうちに、哀しい身の上話が始まった。それ以来、坊さんになることが夢なのだと言う。夫婦で旅行する身としては、申し訳ない気分になって、彼の日本語に耳を傾けざるを得ない。

「ワタシはコクリツホウソウキョクのアナウンサーでした。ムービースターもやりました。アナウンサーのあと、放送エンジニアになった。コッカコウムイン。家内は国連の人だった。ゴシュジン、仕事、何ですか?」

「ワタシ、コウムイン、です」と、我が亭主は変な日本語で応える。ワット氏のタイなまりに感染してしまったらしい。

 親しみやすいのはいいが、周囲の景色や、街の印象を脳裏に焼き付けたいときに、聴き取り難い日本語に耳を傾けなくてはならないうえ、返答を求められる。底抜けに明るい南国のイメージにちょいと影がさした。

 車の数が急に増え、バンコク市内に入ったと気付いたとき、道路を横切る線路が見えた。踏切も何もない単線の上を、何もないかのごとく、多くの車が通り過ぎて行く。カンボジアへと繋がる線路だ。

 道路脇には、議員候補の看板がずらりと並んでいる。女性候補はみな舞台俳優のように化粧を濃くして、きりりとした印象に作り上げ、男性候補は犬や子供を抱いて優しさ温かさを売りにしているように見えた。

 

 ツアー最初のコースは、タイ古典舞踊を見ながらの夕食。500人は入るだろう大きなレストランは日本人客だけでいっぱいだった。

 

               

 

 

 舞台上には、若くてきれいなダンサーたちが並び、タイ舞踊を披露していた。バレエやモダンダンスと違って、体の動きに派手さはなく、ひたすら手指の動きを強調する。不自然なまでに指を反らし、手首を反らし、5本の指を広げながらの踊りには、どんな意味が秘められているのだろうか、と興味を持った。ダンサーたちの指の第一関節、第二関節は、普通の生活をしていたら、けっして曲がらない方向に向いている。そして、反り返った指、指の間、手のひらを見せ付けながら踊る。

 ふと「手の内を見せる」という言葉が浮かんだ。人は誰でも、ときに、手の内を見せないように策を練り、交渉しながら物事を進めていく。それに反するがごとく、タイの踊り子たちは、舞台の上で、これでもか、これでもかと手の内を見せ続ける。

 開け広げに身の上話をし、ツアー客との距離感を考えずにしゃべり続けるワット氏のことが、ほんの少し分かった気がした。

 食事の後はニューハーフショーへ。キャバレー「カリプソ」の300席は余すところなく埋めつくされて開演。司会は、タイ語、英語、中国語、韓国語、日本語で語られる。シミひとつないきれいな肌をした、若く美しいダンサーたちが次々に登場しては、踊り、歌い(口パクだが)、コントを演じる。女性?であることを強調した露出の多い衣装が、よく似合う。人工美の迫力に圧倒されながらも、あの体や顔を作るためにどれだけ痛いことに耐えたのだろうかという思いが、時折、私の肌をちくりと刺した。

 やはり海外からの観光客を意識した演出で、美空ひばりの「川の流れのように」他何曲か日本のメロディーをバックに演じていたし、韓国の踊り「アリラン」もあった。

「俺はニューハーフなんか興味もないし、観たくもないんだよ」と、開演前に嘯いていた夫は、終演後、嬉しそうにニューハーフたちの間に立ち、私にシャッターを押させた。

 

             

 

 

 ダンサーたちは昼間、別の職業を持っているという。もちろん女性として働いているとのことだ。結婚も許されているらしい。

 華やかなカリプソの次は、庶民の集まる屋台経験。タイのうどんを食べてみたい、というと、ガイドはまた「ワットに任せなさいっ!」と叫んだ。徐々に彼の派手なパフォーマンスへの対処法がわかってきた。おしゃべりガイドは無視して放っておこう、と目の前の屋台に入ろうとすると、いちはやく、彼が私の前にたちはだかる。

「ダメよ、ここは、ハクチョウの肉だから」

             

 

 
白鳥? と驚いて店に吊るしてある鳥の丸焼きに目をやると、確かに首が長い。しかし、なぜ、こんな暑い国に白鳥がいるのだろう。しかも白鳥にしては相当小柄だ。

「白鳥ってスワンのこと?」

「そそ、スワン。ルッシアから来たヨ」

「ルッシア? ロシア?」

「そうヨ、ロッシアから来たハクチョウ」

 あまりにも自信たっぷりに言われると、信じない者は救われない、という気分になる。白鳥の湖がタイにあるのだろうか、聞いたことがない、と自問自答する私に向かって、ガイドが、こっちこっち、と手招きをする。自信を失いかけている私は、つい、無視したはずのガイドに付いて行ってしまう。

「ここは、海鮮のダシだから、ダイジョブ」

 白鳥の湖の謎が解けないまま、30バーツ(約80円)のうどんを注文した。米の粉でできたうどんは柔らかくて、のど越しがいい。海鮮のスープもさっぱりしていて美味しかった。トッピングは、魚の練り物と揚げワンタン。クーシンツァイという野菜がたっぷり入っていて栄養バランスもよさそうだ。

 

                

 

夫がタイのシンファビールを注文しようとすると、またガイドが止める。

「シンファ、アルコール15度ヨ。カラダによくないヨ」

「タイ舞踊を観ながら夕食したときシンファ飲んだけど、そんなに強くなかったですよ」

 亭主が抵抗すると「ノー、ノー、15度ダメヨ」と譲らない。夫も面倒くさくなったのか、ワット氏の言うまま、ハイネケンに変えた。ビールを注ぐ私の横を、猫がそろりと通りすぎていった。

 道路には、首輪のない犬がうろうろしている。結構太っていて大人しい。どれもシェパードと柴犬を混ぜたような姿形をして、短毛で、ちょっと胴長。ぱっちりした目が穏やかな性格を思わせる。食べ物を取り合ったり、縄張り争いをする様子もなく、無駄吠えすることもない。屋台にはクーラーはおろか、冷蔵庫もないから、残り物の多くは犬たちのお腹に収納されているのかもしれない。

「オクサマ、プレゼントよ」

 犬に見とれている私に、ワット氏が近付いてきて、マンゴスチンがたっぷり入っているビニール袋を手渡した。ずっしり重い。2キロはたっぷり入っている。今晩中に食べきれるわけもない。ホテルに戻り、山盛のマンゴスチンを冷蔵庫に収めようとしていたら、シンファビールが目に止まった。アルコールは5度と記されている。やっぱり。夫と私は顔を見合わせた。

 

6月12日:2日目 

 エメラルド寺院は、華やかできらびやかという形容詞がぴったりはまる。エメラルド色やルビー色、金色のガラスで、どこもかしこも絢爛豪華な装飾がなされている。

 

              

 

 

「ルビー、エメラルド、ミンナにせもの、ゼンブ旭硝子」とワット氏は説明した。さまざまな意匠を凝らしたフィギュアは、仏教、ヒンズー教/バラモン教のミックスだという。頭が人間で胴体が鳥、或いは、頭が人間で胴体がライオン等のニューハーフ像は、ヒンズー教のもの。人間の形をしたものは仏教のもの。そして、タイの寺院には、仏教とヒンズー教/バラモン教の像がいっしょに祭られている。タイの穏やかな民族性が、そうさせているのか、そういった混ぜこぜの宗教観が柔軟性のある民族性を生み出しているのか。

 

 

              

 

 

 エメラルド寺院に繋がる王宮の前に、兵士が整列している。その中の一人、肩章に星が2つ並んでいる士官に、ワット氏が話しかけていた。にこやかに語り合ったあと、私たちのところへ来て、星2つの士官は自分の後輩なのだ、と説明した。

「ワタシは、陸軍大佐デシタ。戦争キライ。だから陸軍ヤメマシタ」

 昨日は、アナウンサーだったと言っていた。色々なことを経験しているのか、いいかげんなのか。大佐とはそんな簡単になれるものなのか。

「タイは、徴兵があるんですね」

 夫の質問に、チョウヘイないのは日本だけヨ、と笑った。

 ワット氏は、行きかう人としょっちゅう挨拶を交わす。握手したり、肩を叩きあったり。

「ムービースターだったから、みんなワタシのこと知ってるヨ」

 映画俳優というほどいい男じゃないわね、という言葉を喉もとで止めた。

「チュラロンコン大学は、日本でいうと東京大学デス。ワタシはチュラロンコン大学で勉強しました」

「すごいですね。優秀なんですね」

 夫は素直に驚き、ひねた妻は、チュラロンコン大学を通り抜けただけじゃないの、と口には出さねど肩を竦める。

 私が小学校入学前から低学年の頃にかけて(50年以上前のことになる)道路でよく見たダイハツ「ミゼット」が、バンコクでタクシーとなって頑張っていた。吹きさらしの後部座席は、ビニール張りの椅子があるだけ。スピードを肌で感じてスリリング。カーブのたびに、車からふるい落とされそうだ。

 船着き場に到着して、3バーツ(約8円)の乗船料を払い、船に乗る。バンコクの女子高生たちのグループといっしょだ。素朴で、飾り気のない女の子たちは落ち着きがあり、柔らかな表情で談笑していた。ワット氏によると、国立高校の女子生徒だという。

 

 

                

 

 

 船が対岸に着くと、いよいよ暁の寺へ。私が初めてタイに興味を持ったのは、昭和45年のこと。私が高校3年の10月に父親が急逝し、11月に父が好んで読んだ大宅壮一が逝き、続いて三島由紀夫が割腹自殺をした。「豊饒の海」全4巻を脱稿して逝った。

 父の急逝からずっと、生と死について、時間の意味を考え続けていた私は、死生観溢れる豊饒の海に魅きつけられた。誰も教えてくれない生とはなにか、死とはなにか、という答えが、そこに隠れているのかもしれないと思った。中でも3巻の「暁の寺」には、何度読んでも探りきれない秘密がひそんでいる気がした。いつの日か必ず「暁の寺」に行こう、三島がなぜ暁の寺を選んだのか探ろう、暁の寺で三島が何を見て何を感じたのか確かめよう、と強く思ったのだ。

 

              

 

 

 しかし、タイを訪れる機会はなく、時だけは容赦なく流れていった。あれから40年以上が過ぎ、私の感性も相当鈍くなった。日常という名の繰り返しは、人の感受性を摩耗する。代わりに、諦念という便利な想いがどんどん膨らんで、すべてを呑み込んでいく。

やっとタイにたどり着けたというのに、18歳のころの胸を衝くような「暁の寺」へ思いは消えていた。ただ、あまりにも煌びやかなエメラルド寺院を見たあとだったせいか、落ち着きある暁の寺の佇まいに心が動き、懐かしくも甘やかな思い出がどっと脳裏を埋めつくした。その瞬間、永遠と一瞬は同じだ、という思いにかられた。

初めて「暁の寺」のページを繰った日から40年という時の流れが、一瞬にして、脳裏に展開された。喜びも悲しみも、楽しみも苦しみも、愛憎も、輪廻転生も永遠も、天国も地獄も、なにもかも一瞬の中に同居している。すべては時間も形もなく、つかみどころのない記憶という名の扉の中で、拡がっては閉じ、閉じてはまた拡がり、と繰り返しながら昇華する。三島由紀夫が生を終えた年齢を14年も超えてようやく、彼が表現しようとしたことが、ほんの少し読めてきたのかもしれない。

暁の寺を、いつかまた訪れることがあるのだろうか。そのとき、今より年齢を重ねた私は何を感じ、何を思うのだろう。

感慨に耽る私の前で野良犬が寝転ぶ。だらしない呑気さがユーモラスでカメラを手に取ると、また親切すぎるガイドが近付いてきた。

 

              

 

「オクサマ、犬は好きデスカ?」

「大好きですよ」

「ワタシ、犬、16匹飼っています」

「じゅーろっぴき?」

夫も私も、声を上げて驚いた。

「ホントヨ。寝るのも食べるのもイッショ。カワイです」

 ワット氏は、時折、我が耳を疑いたくなることを言う。無意識のうちに他者を驚かせて、心を食おうとしている。

「日本の犬もいます。チズー」

「シーズーのこと?」

「ソソ、それ、シーズです」

「シーズーは中国の犬じゃなかったかしら」

「オレもそう思う」

「イイエ、シーズは日本です」

彼はきっぱり言い切った。

 それ以上、反論する元気はなかった。40度Cの暑さの中にいると、どんなことも大したことではないという気分になる。ワット家の犬が1匹であろうと、160匹であろうと、シーズーがどこの原産であろうと、ここが「暁の寺」であることに変わりはない。気を取り直して、また船に乗り、暁の寺から現世へと戻ろう。旅はまだまだ続くのだから。


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