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アジア近代化研究所
IAMニュースレター


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IAMニュースレター第9号、2011年3月15日発行 目次
無断転載禁止。著作権は各著者にあります。
  1. 巻頭言:中国元の国際化について(童適平)
  2. 中国・青島市の魅力について(袁暁莉)
  3. 地域経済を変える航空機産業(山本尚志)
  4. カンボジアの道路事情で表わされる国民経済(ラプチェフ・セルゲイ)
  5. ニュースの裏を読む(9)(長谷川啓之)
  6. 編集後記(HH)

     T 巻頭言 中国元の国際化について (印刷用pdf)

 童 適平(経済学博士)

アジア近代化研究所研究員、明治大学教授

20097月から中国は経常収支項目に限定して元によるクロスボーダー貿易決済の試みを始めた。最初は上海市、広東省の4都市と香港、マカオ、アセアンとの間で実験的に行ったが、20106月から国内20の省(直轄市)と域外全ての地域に繰り広げた。一時、元の国際化は大きな話題になった。
 しかし、厳密に考えてみると、元の国際化の定義は必ずしも明確ではない。中国政府も元の国際化の内容についての明言を避けている。通貨の国際化とは、一国の通貨は、外国(通貨発行国以外の地域)でも通貨の機能(価値尺度、支払い手段、価値貯蔵手段)を執行すると理解したほうが普通であろう。しかし、今中国の元は価値貯蔵手段としては、勿論、資本項目の自由化はほとんど進んでいない。支払い手段としても、クロスボーダー貿易決済に止まり、非常に限定的である。中国人民銀行の報道によれば、2010下半期から元によるクロスボーダー貿易決済は急増し、2010年までに5,063億元に達したそうである。しかし、2010年現在、中国の輸出額は15,779億米ドルである香港、マカオやベトナムなど一部の地域に元の流通も見られるが、中国政府の認可を受けた香港、マカオを除けば、他の地域は当然ながらあくまでも非公式である。そして、輸出入決済の90%は米ドル建てであるという状況は変わっていないので、支払い手段としても、価値尺度としても、元の国際化という定義には程遠い。ちなみに、経済産業省の調査によれば、2000年の日本の輸出の中で、円建て決済による比率は34.2%で、輸入においては14.6%である。
 ところで中国政府が元によるクロスボーダー貿易決済を推進する理由ないし目的は何であろうか。時期から考えれば、ちょうど世界同時不況発生の後、アメリカ市場はあまり期待できない時期であるので、東南アジアを中心に輸出を拡大する狙いがあるのではないかと推測される。つまり東南アジア経済が成長し、国内市場が拡大すると、輸入に必要な支払い手段である外貨が不足するため、輸入はあまり増やせない。また、2010年1月から中国とアセアンとの間に自由貿易協定が発効するので、双方の貿易が一段と拡大することが見込まれる。元によるクロスボーダー貿易決済は輸出入を促進するだけでなく、為替リスクの低減にもつながると考えられる。一方、よく言われるように通貨の国際化はいいことばかりではなくデメリットもある。マクロ経済のコントロールは難しくなることは最も大きいデメリットである。しかし、元によるクロスボーダー貿易決済を進めても、実際に実行されるのは香港、マカオと東南アジアの一部の地域になるので、金融政策への影響も限定的であると判断されたであろう。また、元の支払い手段として使われるようになれば、当然、元に対する需要が増え、元高の原因になるが、その効果も限定的であろう。
 次に、元の国際化の条件、或いは将来を考えてみたい。一般的に通貨の国際化の条件として、1、世界経済におけるその国の経済規模が大きいこと;2、通貨価値が比較的に安定していること;3、金融市場が発達すること、が挙げられる。
  中国の元には前の二つの条件が揃いつつあると言われる。確かに世界経済における中国経済のプレゼンスは大きくなり、通貨価値も安定している。しかし、13億人の人口規模を考えれば、最近の中国経済のプレゼンスの増大はむしろ本来あるべき姿への復帰と理解したほうが正しい。また、元の価値の安定についても、その安定をもたらした背後の要因を探る必要があろうかと思う。そして、より重要なのは、上記の二つの条件は、必要条件であって充分条件ではない。言ってみれば、元の供給、つまり、政府援助や金融機関の貸出、対外投資および経常収支による商品やサービスなどの輸入を通じて大量の米ドルが流出し、外国の人々に保有されたように、中国の元も中国の国境から流出するメカニズムが必要である。しかし、中国の元にこのようなメカニズムはほとんど存在しない。外国への政府援助はたまに見られるが、流れにまではなっていない。また、中国の現状を見ても、予測できる将来、大規模の対外援助、そして、輸出と輸入の関係が逆転して、貿易収支をはじめとする経常収支が赤字になることは考えられない。
 国際通貨になるためには、中国の元が流出するだけでなく、元を保有し、それを運用して価値増加の魅力を作り出さなければならない。これは上記三番目の条件である。残念ながら、現在の中国にはこの条件が大きく欠けている。現に、中国の金融市場は国内の貯蓄を消化する金融市場にもなっていないため、この条件の実現にはほど遠いといわざるをえない。中国の国境から流出した元が還流できる、厚みのある金融市場の形成とその存在があって初めて中国の元を、人々が安心して喜んで所有してくれる国際通貨にすることが可能となるのである。

U 中国・青島市の魅力(印刷用pdf)

袁 暁莉

アジア近代化研究所研究員、青島科技大学准教授

1.はじめに

 中国山東省の南部に位置する産業都市の青島(チンタオ)は日本にとっても馴染みの深い場所ではないでしょうか。山東省は日本からも近く、また儒教の始祖「孔子の故郷」として、も有名です。また青島といえば、最近はたとえば「青島ビール」や家電製品で世界的も有名になった「ハイアール」で知られていますが、それらの名前は日本人でもご存知のことでしょう。なぜなら特に「ハイアール」は中国で最も有名な企業の1つであり、いまや世界に進出し、日本でもハイアールの家電製品は販売されていますから。
^ 最近は青島を訪問する日本人も増加し、中でもビジネスマンが最も多く、次第に観光客や企業訪問する人たちも増えています。また中国人が日本を訪問しやすくなってきたため、これからは徐々に増えていくものと思われます。そこで、私が住む青島の魅力を少しでも日本の皆さんにお伝えしたいと思い、以下でその概要を紹介したいと思います。

2.青島市の紹介
 最初に青島市について紹介しておきましょう。青島市は山東半島の南端の黄海の浜辺にあり、東に海を隔てて、韓国と日本と向き合っています。青島市の総面積は10,654平方キロで、その中でも市街地の面積は1,159平方キロです。また常住人口は2009年現在で8456,100人ですから、東京都の人口よりは少し少ないだけです。 青島市は市南区、市北区、硫黄区など7区と膠州市ほか5市からなるが、1990年代に開発された青島市の東部新区は、青島市の政治、経済、金融、文化の中心となっています。かつての古い陋屋は、いまや優れた環境を持つ住宅区や聳え立つ高層ビルにとって代わられています。市の中心部は旧市街と青島市人民政府と高新技術開発区のある新開発地区まで拡大しております。
市街は平坦なところが多く、郊外には丘が並んでおり、その1つにわが青島科技大学の広大なキャンパスが広がっております。中国の大学は日本の大学と違って、多少大学によって異なりますが、キャンパスの中に郵便局、レストラン、事務用品店、果物屋さんなど、生活に必要な、ほとんどの施設や商店があり、また学生は大部分キャンパスの中で生活しております。
 なお、青島にはわが大学を初め、中国海洋大学(旧青島海洋大学)、青島大学、青島理工大学、青島東方外国語大学などがあります。また最近はホテルや大きなビル、マンション、カルフールやジャスコなどの大型スーパー、デパートなどの建設も進み、道路舗装も整備されて、近代都市の様相を呈しています。自然環境にも恵まれ、青島市の海岸線は折れ曲がり、北温帯モンスーン地帯に位置しています。中心市街地は海に囲まれ、南東季節風や海流の影響を直接受けるため、典型的な海洋性気候になっています。空気は湿潤で気温は快適、夏の厳しい寒さもなく、春の訪れはゆっくりしている。年間平均降水量は662ミリと少なく、夏季の平均気温は23度、冬季の平均気温は0度以上(年間最高平均気温は16.15度、最低平均気温は9.97度)で、それほど寒くはないが、やや風が強く、低温の時期がやや長く続くが、厳冬とはいえません。


3.生活環境 

 近年、青島の生活環境も急速に改善されつつあります。全国沿海開放都市、国家歴史文化名年、全国重点風貌保護都市として、青島は「美しい環境を作り上げ、人の住みやすい街を建設する」という理念に基づき、経済と社会を調和的に発展させながら、人と自然の調和共生、都市の個性を際立たせ、美しい山と海を守り、環境を整備し、機能を整えて、生活しやすい居住環境を作り上げ、優秀住環境賞を受賞してきました。また、国家衛生都市、中国優秀観光都市、国家庭園都市、国家環境保護モデル都市、国家節水型都市という評価を受け、さらに国連と国家から人の居住環境モデル賞、中国人居住環境賞、全国文明都市などの栄誉ある称号を授けれました。 
 青島市海に面しているため、海産物は豊富で、中華料理に欠かせない多くの食材を海に依存しています。魚介類が豊富なため、町には新鮮な魚介類を誰もが楽しめるか価格で売り物にするレストランが多く、町のレストランの店頭には所狭しと並んだ水槽の中に元気な魚が泳ぎまわり、たくさんのあわびなどの魚介類がガラス越しに見えます。お客さんは新鮮な魚介類を店頭で指定し、生きたまま料理してもらうのです。日本人には珍しい魚介類も少なくありません。
また海に面していることから、2002年の北京オリンピックではヨット競技が行われたため、会場の整備や選手村、ホテル、道路整備なども同時に行われました。海に面した風光明媚な地区には多くの高級マンションが立ち並び、現在はそこにたくさんの韓国人ビジネスマンが住んでいます。また、現在では、オリンピック会場の北東側の海岸地域での開発が進んでおります。
山や海、美しい形式の中に点在する多くの文化遺産は青島市の現代都市100年の年月と東西文化の融合した豊かな文化を示している。さんざマナ都市文化の蓄積があり、現在も完全に保存された、100年の歴史を持つ旧市街、ヨーロッパ風別荘区、そして路真チック名海辺の風情を持つ海岸、砂浜や海水浴場は独特の都市の景観をまたいつ作っています。
青島市は古くはドイツ、第一次大戦から第二次大戦にかけては日本が租界を作っていたため、青島には異国風建築の種類が非常に多く、「万国建築博覧」と呼ばれています。そのシンボリックで代表的な建築群は,小青島市の灯台、桟橋、元ドイツ総督府、総督官邸、カトリック教会、プロテスタント教会、八大関別荘区などです。ここにあるどの建築も、都市の変遷の歴史を物語っていると同時に、そのひとつひとつが感動的なドラマを秘めており、多くの中国や外国の映画がここで撮影されました。2005、八大関建築群が「中国で最も美しい都市」の称号を獲得しました。毎年、夏から秋かけて、婚礼衣装を身に着けた新郎新婦が青島市の岸辺や水辺をそぞろ歩き、記念写真をする姿が多く見られ、「ロマンチックな旅」を永遠に留め、海や山に愛情を誓い合うのです。

4.青島の経済

青島は第一次産業が低下傾向を示し、代わって第二次産業、そして物流やIT(情報技術)を中心に、第二次産業を上回って第三次産業が発展しています。外国からの投資も拡大しており、特に100%外資の独資企業に対する外国投資が80%を超えています。こうして、近年の青島経済は順調に進んでおります。青島の経済は世界不況の中でも、1995年以後、例外的に一桁成長の年もあるにはありましたが、ほぼ二桁の伸びを実現してきています。青島市の中国全体の成長率を上回っています。しかし、他方では物価は、95年以後次第に低下していましたが、最近は上昇気味です。青島経済は日本や韓国などから多くの企業が参入しているため、活力に満ちています。特に韓国企業は2001年から03年にかけて大幅に増加しましたが、06年以後は大幅に減少しています。07年の山東省全体に占める韓国企業の割合はトップの37.8%を占めましたが、日本の割合はわずか9.9%に過ぎません。92年に中韓が国交を正常化させると、韓国政府は青島市における投資を拡大し始め、6〜7万人の韓国人が在住しています。青島市だけで見ると、韓国企業は6000社を超えて47.6%となっており、日本はわずか200数社で10.1%です。これを見ればわかるように、青島市は韓国との関係が最も深いといえましょう。李明博大統領は就任後、中国を訪問したがその際、北京についで青島を訪問しました。また青島には朝鮮族が12万人いるといわれ、いまや青島は「リトル韓国」(0964日、『韓国聨合ニュース』)とさえ言われるにいたっています。現在、青島市は中国の商業の上位10番目に位置しており、企業家満足賞を受賞しております。

青島はその特色を生かした経済を目指しています。青島は中国でも有数の湾岸貿易都市として知られています。このため、青島は湾岸経済を目指しています。青島港の コンテナ取扱量は中国主要港の中で第3位にランクされている。07年現在、第1位は上海港であり、第2位はシンセンなので、青島港はこれらに次ぐ位置にあると言うことになります(ただし、香港は除く)。
また、青島には経済技術開発区を始め、保税区,高新技術開発区および輸出加工句の4つの国家級の開発区があります(他に,省級の開発区が6箇所あります)。保税区は経済技術開発区の中にあり、その保税区の中に物流園区があり、いまや空港物流園区とともに山東省における物流の拠点になろうとしています。青島経済技術開発区は198410月、国務院の批准を得て、最も早く設立された開発区の1つです。全区域が重化学工業区、臨海工業区、加工工業団地区、国際貿易区、効能観光港区、リゾート区、行政商務センターなどに区分されています。いまや青島は重化学工業、家電、生物製薬、国際貿易、リゾートなどを特長とする新国際都市の様相を見せています。

5.日本との関係

青島と日本の関係ははるか遠くにさかのぼります。特に191492日の山東出兵は有名です。それは当時、ドイツの権益があった青島を中心とした山東省への出兵です。青島戦は2ヶ月にわたって行われた後、117日に日本軍の青島占領で終結しました。其の時の戦闘は郊外で行われたため、当時ドイツが造った建造物はそのまま残りました。たとえば、鉄道や港湾施設をはじめ上下水道、火力発電所、病院、舗装道路、街路樹、公園などのインフラ、ビール工場、食肉工場など、たくさんあり、いまも受け継がれています。青島はその意味でドイツが作った町ともいえるほど、ドイツ風が残っています。このため、青島は古い伝統的な部分と近代的な部分が見事な調和を保ち、旅行者を魅了してやまない、すばらしい外観を呈しております。戦前の日本と青島の関係では直接・間接にさまざまなことがありました。中でも有名なのは「五四運動」でしょう。これは191954日北京で始まったこの運動は第一次大戦で中国も戦勝国のはずが、終わってから締結された「ベルサイユ条約」で、青島を中心に山東省にあったドイツの権益が日本に譲渡されたため、怒った北京の大学生らが抗議運動を起こしました。青島も当然抗議運動の中心にあったため、其れを記念して「五四広場」と呼ばれる広場があり、観光スポットになっています。そこには「五月之風」という大きなモニュメントがあります。これが「五四運動」の象徴となっていますが、この条約は1915年に日本が中国に突きつけた「21か条の要求」の一部でもありました。
このように戦前の日本と青島の関係は政治的な関係が中心であり、あまりいい思い出ではありません。しかし、戦後の青島と日本との関係は経済関係が中心となり、市民の意識も徐々に変化しております。
最近はさまざまな日本人が青島を訪れるようになりましたので、日本との直行便も05年まではわずか週22便でしたが、07年以後は週36便が飛んでいます。日本からの訪問者で多いのはやはり日系企業が多いために、関係するビジネスマンとその家族です。今では企業会員で作る「青島日本人会」もありますし、日本食レストランも増え、大手スーパー・ジャスコの進出も注目を集めました。また04年には日本人学校が青島日本人会の支援を受けて校舎を作り、そこには教室だけでなく、体育館や校庭、プールなども備えています。授業には中国語も取り入れられています。さらに、
09年T月には長年の懸案であった「在青島日本国総領事館」が業務を開始しています。

6.終わりに

青島の魅力について書きましたが、まだまだ言い尽くせません。一度是非青島を訪問してほしいと思います。ハイアールの本社をはじめ多くの企業を訪問するのもいいでしょうし、さまざまな観光地や景色、それになんといっても値段が手ごろで新鮮な魚介類を楽しまれるのもいいでしょう。わが大学を初め多くの大学がありますので、それらを訪問して、現地の人たちと対話を楽しんでいただくのもいいでしょう。青島も徐々に大都市化しつつありますので、中都市のよさを堪能していただくには今が絶好の機会かと思います。お待ちしています。

V 地域経済を変える航空機産業(印刷用pdf)

山本 尚志(Ph.D.

アジア近代化研究所理事、拓殖大学准教授

はじめに

 最近、わずか数万円でヨーロッパに行けるという信じられない話が話題を呼んだ。首都圏では東京へのアクセスがいい羽田が再び国際空港として脚光を浴びている。以下で紹介するように、こうした動きの中で航空機産業も注目を集めている。世界は確実にグローバル化が進み、地球は小さくなり、人々は国内と同じ気分で海外へと飛び立つ時代である。
  こうした状況は今後ますます活発化することが予想されるため、それを見越して、多くの国で格安な飛行機を飛ばそうとし、競争が激化しつつある。日本もこの分野で遅れをとってきたが、いまや追いつくのに必死である。
 この他にも、航空機をめぐってはさまざまな動きがある。たとえば、これまで大型化してきたジェット機も近距離を飛ぶために小回りの聞く、効率的な小型機に注目が集まっている。そうすれば日本企業の参入余地も高まるし、世界にその需要を見出すことが可能であろう。また航空機産業でも燃費や環境性能を重視した技術革新が進んでいる。こうした航空機産業の動向はアジア地域の経済に大きな影響を与える可能性が高い。そこで、地域経済の観点から航空機産業の動向を探るのが本稿の主目である。

1.新たな航空機時代の幕開け

 経済のグローバル化が進み、ビジネスや観光のための移動が多くなるにつれて、人々は、より遠くへより速く移動しようとしている。ここ数年間、航空機による輸送実績は国内線でも国際線でも順調に伸びているし、今後20年間の平均では、旅客で5%、貨物で7%という高い成長が予測されている。実際に、成田空港では昨年に平行滑走路が延長され年間発着回数が大幅に増加したし、本年10月には羽田空港の第4滑走路と新しい国際線ターミナルが完成するなど、航空輸送の需要拡大に対して主要空港が着実に対応している。今後はこれらの空港でさらに多くの飛行機が発着することになるだろう。その一方で、各国の地方空港どうしを直接結ぶ、短距離・中距離路線に特化した新しい航空会社も生まれている。航空業の発展により地方空港で乗降する乗客が増えれば、それだけでも実需が発生して地域経済への追い風になる。
 空路での輸送が活発になるにつれて、より多くの航空機が必要になるために、航空機メーカー各社で新型機の開発や製造が続いている。ただし、一社で新型機の開発や製造を完結させるのではなく、技術に優位性のある他社と組んでいる。外国の企業と連携することもある。例えば、米国のボーイング社は、最新鋭の旅客機であるB-787(愛称ドリームライナー)を生産するために、日本を含む世界の企業に部品パッケージを外注してきた。中でも三菱重工(複合材主翼)・川崎重工(主翼フラップ)・富士重工(中央翼、主脚格納部のインテグレーター)・IHIなど、日本の企業グループは、合計するとB-787の部品の35%を担当している。さらに、その企業グループから、非常に多くの部品や特殊な工具が様々な日本企業に発注され、多くの中小企業がB-787のサプライチェーンに参加することになった。

2.リージョナル・ジェット旅客機の時代か

一方、三菱重工業は中型の国産リージョナル・ジェット旅客機である「RJ (Mitsubishi Regional Jet) の開発を進めている。リージョナル・ジェット旅客機(地域間輸送用旅客機)とは、一般に、座席数が50から100名程度で必要な滑走路も短い低騒音な小型ジェット旅客機のことを指す。航空会社各社からの発注が順調に進めば、プロペラ機のYS11以来、約半世紀ぶりに国産旅客機が生産されることになる。2012年には座席数が90席のMRJ90が初飛行すると見込まれている。さらに、もう少し小型である、座席数が70 席のMRJ70の開発も予定されている。MRJは最先端技術を採り入れた次世代のリージョナル・ジェット旅客機であり、最高レベルの運行経済性と最高レベルの客室最適性を兼ね備えている。世界最先端の空力設計技術や騒音解析技術などを適用するとともに、最新鋭エンジンを採用することによって、大幅な燃費低減を実現する。さらに、MRJは騒音や排出ガスを大幅に削減し、同クラスで最も静かで最もクリーンなリージョナル・ジェット旅客機となる。これら圧倒的な運行経済性と環境適合性により、航空会社の競争力と収益力の向上に大きく貢献できる。また、1列4席の配置や新型スリムシートなどの採用により、これまでのリージョナル・ジェット旅客機にはない快適な客室空間を提供する。MRJは、世界の地域航空ネットワークを十分にカバーできる航続性能を有している。例えば、パリからならば欧州や北アフリカの主要都市までを、デンバーからならば米国の東海岸と西海岸の主要都市までを、それぞれカバーしている。

3.航空機産業と技術革新 航空機産業では、技術革新が大幅に進んでいる。例え
ば、B-787は燃費と環境性能に優れた旅客機であり、その機体に採用されているのはアルミ合金ではなくて炭素繊維プラスチック(CFRP)という新素材である。また、電磁波で計器が誤作動しないように新装置の開発も進んでいるし、機内エンターテイメントの改良も著しい。航空機産業は自動車産業以上に裾野が広いから、産学官連携により技術開発を進めて、地元に航空機産業を集積させることができれば、地域経済の活性化に大きく貢献する。

 さらに、航空機産業では、製造にもましてメンテナンスや修理が大きなビジネスチャンスになる。航空機では、部品を定期的に交換し、内装をリフォームし、一定期間ごとにオーバーホールして分解整備しなくてはならない。こうしたメンテナンスや修理サービスには、必ずしも設計開発が必要ではないから、しっかりした技術力があれば中小企業でも参入しやすい。さらに、メンテナンスや修理やオーバーホールのサービスは、必ずしも東京や大阪などの大都市で行う必要はなく、広い土地が安価で確保できる地方のほうが有利になるかもしれない。
 20106月に日本政府が発表した「新成長戦略〜『元気な日本』復活のシナリオ〜」では、地方の中小企業が日本国外に輸出できるようになることを視野に入れている。しかも、ただの輸出入の関係だけではなく、外国のサプライヤーとの協力や国際的なサプライチェーンへの参加などにより、中小企業が積極的にグローバルな取引に加わることが求められている。現状では国内企業から航空機部品製造の注文が来る可能性が高くないために、意欲があり技術力を持った企業の中には海外企業との取引を求めているものが目立つ。ただし、地方の中小企業のうち大多数は国内企業からの下請が中心であり、積極的に販路を開拓しようとしても、海外企業との商談の場を設定したり効果的なプレゼンを実施したりする経験に乏しいなどの課題がある。このような状況に対処するため、経済産業省、地方自治体、経済団体、研究機関・大学などが連携し、地域の中小企業が世界市場に出て行くことができるように支援している。例えば、愛知県や岐阜県などの航空機関連企業を支援する「日本航空宇宙産業フォーラム」はその一例である。

4.日本航空機の輸出は活発化するか

航空機産業では国際的な企業関係は今後さらに進展すると見込まれる。海外企業からも優れた技術を持つ日本企業との取引の機会を求めている。例えば、本年7月に英国のファーンボローで開催された航空宇宙産業フェア(Farnborough International Air Show 2010)においては、英国通商投資部(UK Trade and Investment)が、日本企業との取引に関心がある英国企業のためのセミナーを開催した。日本の航空宇宙産業の現状、日本企業との取引を始めるときに注意すべきこと、などが発表された。このセミナーには20社以上の英国企業が参加し、対日ビジネスに関する関心の高さを伺わせた。
 今後の航空機市場は、社会環境やビジネス形態の変化、IT技術の更なる革新によって、5〜10年の間に大きな需要変化があると予測される。地方の中小企業も航空機産業に参入することができるようになるだろう。特に、既に電子部品産業の集積があって新たに航空機部品や工具を開発製造することができ、地方空港に隣接して整備や修理のための場所も確保できる地域が有利となるだろう。これまで航空機を製造したことがない地域だとしても、これからチャンスが訪れる。多くの企業にとって新しいビジネスが生まれ、航空機関連企業を抱える地域経済にプラスの影響をもたらすだろう。

結語

 以上で見たように、着実にグローバル化やリージョナリズムが進む中で、航空機産業は今後大きく変化し、発展することが見込まれる。その中で、特にアジアを中心とした地域経済を活性化する方向でさまざまな影響がありうることを述べてきた。日本国内もそうであるが、航空機産業はアジア地域ばかりか欧米や南米さらにはアフリカ地域などでも、地域経済の活性化に大きな影響を及ぼし、地域間の相互依存関係は着実に深まるものと考えられる。
 そうした中で、航空機産業の技術革新が進み、さらにはリージョナル・ジェット旅客機の開発や格安航空機の登場で、地域経済の活性化に対する旅客産業の動向は今後ますます注目されるに違いない。

W カンボジアの道路事情で表される国民経済(印刷用pdf)

ラプチェフ・セルゲイ(歴史学博士)

アジア近代化研究所研究員、MIHO MUSEUM特別研究員

1.はじめに

 カンボジア経済は最近発展が早くなったが、ロストウの言葉を使えば、いまなお離陸以前の段階にある。その最大の理由の1つはハードとソフトの両面でのインフラ不足にある。中でもまず充実すべきはハードのインフラであり、その中の1つは道路の整備である。そこで、筆者が7年間文物・文化調査を続けて見た、カンボジアの道路事情について感じたことを書いてみよう。

2.メール民族に対する道路の役割

「道路は国の動脈なり」とよく言われる。そもそも道路がない限り、物資の流通を必要とする国家経済は成り立たないという事実は否定できない。政治的に「国」と名乗っても、道路で結ばれてない地域は同じ経済的空間に成りえない。中世社会の特徴は自己生産経済で有り、つまり生産物できる限り自己生産で、物資流通は最低限まで抑えられている。その経済体制には道路の不発展性はよくある事情であった。資本主義経済の発展は道路の発展を必要とした。現在でも空路が有るにもかかわらず、陸路は貿易や物流、即ち経済発展に強大な影響を与えている。陸路の便利さは当該地域の経済交流の参加レベルを決めているとも言える。
クメール民族は遠い昔よりインドシナ半島の内陸地に住み続けてきた。そのため、彼らにとって陸路は最も重要な交通ルートである。他面から見るとメコン川がカンボジアのほぼ全土を貫き、中流の西はトンレ・サップ湖と合流し、東の海に入る。先史時代から水路もクメール民族にとってきわめて重要であること、つまり物資運送のために使われたことは考古学の資料から明らかになっている。

3.アンコール時代の遺産

ただし、水路が多くても全ての地域に有るわけではない。クメール国家はメコン・デルタに始まったが、徐々に陸地に広がって行った。アンコール時代末期のクメール帝国は当時中国とほぼ同じ広さの領土を持ち、現在のカンボジア、ラオスそれにタイの大部分とベトナムの南部にまで拡大していた。その時代に建設された道路は現在カンボジアにある主な国道と一致する。当時首都であったアンコールから東西南北に伸びた道路が、現在のプノン・ペン、ストゥン・トレン、タイのピマイ、ベトナムのホーチミンを結びつけている。ほぼすべての主な国道はアンコール時代の遺産でありながら、現在もなお使われている。その中に首都プノン・ペンと主な観光地でありながら国の二番目の都市のシェム・レアップを結ぶ国道六号線はカンボジアの最も重要な人と物の運送路であり、更に西の国境にあるポイペトまで続き、東には1号線の名前でベトナム国境にあるバベトまで伸びている。この道は全土を貫いてベトナムの主な経済センター・ホーチミンとタイの首都で経済・文化の中心であるバンコクとを陸路で結びつけるインドシナ半島の最も重要な道路と言っても過言ではあるまい。大部分カンボジア領土に位置する東南アジア陸部の最大二つ都市を結んでいるこの道はカンボジアのためだけでなく、東南アジア全体のための戦略的な意味を持っている。この道もアンコール帝国の大事な遺産であると同時に、カンボジアの未来発展の道でもある。
 アンコール帝国が最も盛んな時代であった
11世紀末〜12世紀の始め(カンボジアの最も有名な大王ジャヤワルマン7世の時代)にかけて、主要な道路は石で作られ、川の上に石橋が設置され、旅行のために便利な休憩駅が200以上も建設されていた。アンコール時代の石橋は現在まで残っているが、それらはまだ使われているものもある。例えば、上述した六号線にはアンコール時代の橋は少なくとも2つ残っている。その一つはシェム・レアップから30キロぐらいの距離に有り、今でも使える状態であり、数年前まで実際に使用されていた。


       ア ンコール時代の橋(シエムレアップ州)   アンコール時代から残っている「王                            の道路」(シエムレアップ州)

4.道路整備上の主要課題

カンボジアには今でも二つの地点の間の距離が分かっても、移動に必要な時間は距離だけで分からないという問題がある。地図では近くに見えても、実際の道路の状態によって、移動に必要な時間は大きく異なってくる。国道もその例外ではない。車で移動する場合には、事前に最近この道を運転したことがある人に問い合わせる必要がある。季節によって全く通れない道もあるからである。カンボジアの気候には乾季と雨季がはっきり分かれていて、それぞれ半年間ほど続く。低い場所が水浸しになる雨季には、土で出来た道路は水面より少々高い位置に整備されていても、雨の影響でどろどろになり、車、自転車、歩行者の足は泥だらけになってしまう。それによって車が通りにくいか、まったく通れない事態が発生する。それに対する主な対策はアスファルト舗装をすることであるが、アスファルトの場合にも重いトラックが運行する影響で、道路の破壊がしばしば発生する。これまでよく整備されていた道路が以前のまったく未整備の状態に戻ることもある。

5.内戦後の事情

そもそも、6号線の例を見ながらカンボジアにおける近年の道路状態を見てみよう。6号線は2008年以前にはその真ん中の長い部分は上述のように泥道であった。当時はタイの国境に面していて、シェム・レアップ郊外に綺麗なアスファルトの舗装道路があったが、すぐに消えてしまい、泥の道が始まり、それが国境までの半分を超える地点にあるバンテイ・メンチェイ州の州府シソフォン市まで続いていた。この100キロ強の距離をクロスカントリーカー(ジープ、ランドクルーザ等)に乗っても、乾季ですら2時間〜2時間半も掛かっていた(平均時速4050キロ)。カンボジア西部の中心地であるバッタッムバンからパイリン市まで、国道57号線で4年前には56時間ほど掛かっていた。その距離はおよそ80kmで、当時の時速は1620キロほどだった。時々ジープでもこの窪みだらけに壊された道を下りて、近くの草原を走るしかなかった。しかし、その道路もカンボジアの国道の中で最も時間がかかるというわけではなかった。ポル・ポト軍の抵抗の中心地であったアンロンウェンの近くのシェム・レアップへと向かう67号線の国道はパイリンへの道に比べてはるかに劣悪であった。この想像を超えた劣悪な道路は23年前までは、最悪の状態であった。80年代に、私はシェム・レアップからプノン・ペンへとしばしば行く機会があったが、私の知り合いによると当時常に3日も掛かっていた(プノン・ペンとシェム・レアップの距離は250キロ位で、現在なら3〜4時間で行ける距離である)。
 だからといって、政府と自治体が以前は道路整備を全くしていなかったわけではない。かつて、同じ6号線が整備された時期もあった。ところが、天候と重いトラックの影響で完全に壊されてしまった。貿易のために最も重要な経済脈は数年間にわたり、常に通行不能の可能性があり、実際雨季の頃になるとトラックが泥に沈んで動けなくなり、道路が通行不可能となる事態が何回となく発生していたことを、著者自身目撃している。

6.現在の状況

ここ23年の間にカンボジアの道路事情は大きく変化した。全国の所々に道が直され、アスファルト化された。数年間に直されていた6号線も計画より少々遅れても、漸く2008年に完成された。現在シェム・レアップからタイ国境までクロスカントリーカーだけでなく一般車でも2時間ちょっとでいけるようになった。タイからシェム・レアップとそこを通ってさらにプノン・ペンまで物資を運びことが容易になった。以前タイからプノン・ペンまでのいい道はトンレ・サップの南側からしかいけなかったが、現在ではタイ国境とプノン・ペンとは2番目の都市であるシェム・レアップを経由する道路とが結ばれることとなった。物資の運送に不可欠なこのルートも、カンボジア経済のため非常に重要な役割を持つ観光業にも大きな発展をもたらした。カンボジアは世界の主要な国(日本を含めて)からの直行便を持ってないため、シェム・レアップへの道はバンコク空港から始まる。以前はコンディションの
悪い
6号線と治安があまりよくないために、ほとんどの観光客はバンコクからシャエム・レアップまで空路で来ていた。そのため、その空のルートを経営したタイのバンコク・エアに大きな利益をもたらした。だが、カンボジアの観光業はそれほどの利益を得なかったし、カンボジアの観光業はシェム・レアップに集中していたため、西北地区は全然発展しなかった。そのために、20062月、筆者が訪問した際、ソック・アン副総理・官房長官が筆者に話したところによると、カンボジア政府が6号線の整備を国の重要な課題一つとみなしていると言う。その時、早急に完成することはできないだろうと著者には思われたが、わずか二年で道路は日本の国道と同じような状態になったのには驚くほかはなかった。
^6号線のような重要な道路だけでなく、多数の地方のかなり「田舎」道もこの23年間に整備とアスファルト化されてきた。パイリンに行く57号線、アンロンウェンに行く67号線もその中に入る。地方の道路はむろんまだ整備されてない、通りにくい、雨季になると通れない道がまだまだ残っている、その中で、タイ国境に近い町府まで行く道路もある。だが、この道は国道の中ではもはや少数派となった。新たに整備された道路は以前の事態に戻らないように対策も行われている。その中にトラックの重量を量る審査ポストは一番重要なものだと思われる。走っている重いトラックに体重制限を設け、政府は道路の破壊を防ごうとしている。国会には最近交通規制に関連した法律が次々に制定され、交通安全と道路保存に大きな貢献をしている。
 まだ道路の建設、整備、交通規則に大きな課題が残されてはいるが、発展はすでに開始しており、道路の発展は近いうちにカンボジア経済に大きな影響を与えるものと期待されている。


         

  国道6号線(バンテイメンチェイ州、2005年)  国道6号線(同じ場所から2010年撮影)

7.期待できる効果と発展の前提

アメリカから派生してきた経済不況はカンボジアに少なからず影響を与えた。観光業に大きく依存しているカンボジアの経済には、観光客の激減が経済発展の減速をもたらした。しかし、その時期にあってもカンボジアの経済成長率はプラス7%という高い数字を保ってきた。道路の整備は更に経済発展を加速させるものと期待される。カンボジアの国土は「縮まる」とともに地域間と対外貿易は活発化すると思われる。以前アクセスしにくい地域に物資と人の交流はいっそう容易になり、地域の近代化を深める。観光客も観光地に行くコストが安くなり、観光客の数は増えるという効果ももたらす。それと同時に、観光地だけでなく国境と観光地との間の地域も発展し始める。シェム・レアップだけでなく、以前行きにくかった(プノン・ペンからクロスカントリーカーで10時間ほどの)緑が豊かな東北のラタナッキリ州などの地域にも新たな観光地が発展することが期待される。
  観光業の発展だけでなく、物の生産と輸送も容易になり、労働力が安いカンボジアへ製造業の移転も効果的になっている。それはさらに地域発展と人々の購買力を増加させる。製造業の発展過程はすでに始まっている。数年前には中国製、ベトナム製、タイ製の商品が溢れていたカンボジアにも、すでに国産品が現れ、徐々に増え始めている。おそらくカンボジアが「工場の国」の役割を果たす日も近いうちに来るであろう。

8.カンボジアの道路発展に見える日本にとって貿易、投資の可能性

では、カンボジアの道路建設は現在経済不況が継続中の日本経済にとって、どのような利益を齎すのか。円高で生産コストが増え、企業の海外移転は残念ながらとめどもなく続いている。しかし、今まで最大の移転先であった中国への移転も、今後は減ってくると思われる。物価の上昇とともに、日本と中国の政治的関係は緊張感を増す。日米同盟とともに、日本と中国との関係には緊張がいっそう増すものと思われる。そうした状況の中で、米・日は東南アジアを重視し始めている。コストの安い東南アジアは政治的にも中立であり、投資しやすい状態を維持している。カンボジアへの投資に特に悪影響を与えたのは道路の不整備と人材不足であった。最近、その一つ目の理由は徐々に改善されつつあり、二つ目の理由も交流の活発化とともに改善しつつある。政治的に安定し、考え方も比較的日本に近く、日米に友好的なカンボジアの政治・経済的な状況は日本経済にとても大きなチャンスであると思われる。カンボジアにおいて、産業の設立、投資、貿易、インフラ作り、日本の高い技術による近代化への参加などは日本企業のために大きな可能性を生み出してくれるに違いない。日本の隣の中国、香港、韓国、台湾、などは数年前から縫製産業を中心にカンボジアへの進出を活発化させている。しかし、日本企業は今までカンボジアにわずかしか投資していない。それもほとんど中小企業であって、大企業の進出は見られない。今後、日本企業が大いに進出して、このようなチャンスをつかむことを筆者は大いに期待している。

X 「ニュースの裏を読む(9)」(印刷用pdf)

長谷川 啓之

アジア近代化研究所代表

今回も、最近アジアで起きている、さまざまな出来事の中から、以下の記事を紹介し、その裏を読んでみることにしよう。

1.ラナリット氏の復帰の意味は?

 2011123日の『朝日新聞』の報道によれば、前国王のシハヌークの次男で現在のシハモニ国王の異母兄にあたるノロドム・ラナリット氏が昨年12月に野党党首に就任して政界復帰を果たしたとして、以下の内容を伝えている。内戦が続いたカンボジアも、19922月から国連カンボジア暫定統治機構の統治を経て、19939月にカンボジア王国が成立し、立憲君主制のカンボジア王国として生まれ変わった。カンボジア和平後の936月に総選挙が行われ、シハヌークの息子のラナリット氏がフンシンペック党を率いて120議席中58議席を取って第一党となり、第一首相に就任した。そして第二党となったのは人民党で51議席を取り、両者は連立政権を組むことになった。そして生まれたのがカンボジア王国である。

 だが、当時フン・セン現首相(人民党)との確執やラナリット氏自身のさまざまなスキャンダルなどもあった。たとえば、フンシンペック党本部売却に関して360万ドルを指摘流用したとして背任罪に問われたり、ラナリット夫人からも姦通罪で告訴されるといった事件が起き、前者の訴訟では償還に応じなかったため、禁固18ヶ月の有罪判決をいい渡されるまどして、失脚した。その後2回にわたり、国外逃亡していたが帰国し、2年前に事実上政界を引退して、国王顧問に就いていた。
  ラナリット氏は政界復帰の理由として、以下の点を上げている。@支持者の要望、A司法の偏りや汚職の蔓延、B分裂した王党派の再結集、である。同氏によれば、ラナリット氏が政界から離れている間に、偏った司法や汚職、土地の強制収用、不正義などさまざまな問題が起きているが、これは野党が機能していないからであり、その解決には自分が遣るしかない、と述べたと言う。しかし、こうしたラナリット氏の主張の正当性はどの程度あるだろうか。支持者の要望や王党派の再結集は別として、司法の偏りとか汚職の蔓延について見てみよう。カンボジアの腐敗・汚職は昨日今日始まったことではない。
 最近のカンボジアは政治的にも安定している。087月に平和裏に行われた総選挙では、与党人民党が90議席をとり、圧倒的勝利を収め、フンセン首相は初閣議で今後の国家開発戦略である「第4期四辺形戦略」を発表した。この戦略でフンセン首相はカンボジアの発展に必要なあらゆる改革を実行する決意を表明した。こうした政治的安定と開かれた経済戦略を好感して、徐々に外資が入りつつある。特に香港、台湾、中国、アメリカなどから縫製工場を設立するなどの動きが活発化している。だが、その所有者は一様に、カンボジアの官僚が売上高の7%(工場の従業員給料のほぼ半分に相当)を要求すると言う。

  そこで、いま2009年の腐敗度を表す透明度指数を見ると、180か国中、カンボジアの透明度はラオスと並んで158位(裏返せば腐敗度は180か国中22位)であり、ミャンマーの178位よりはましであるが、汚職がしばしば問題になる中国の79位(シンガポール3位、日本は17位)よりはるかにひどい。しかし、これはもう1000年にもわたって同じ状況であり、ことさら今問題にしても簡単に解決する問題ではない。司法が偏っているかどうかを判断するにはここの事例を見るしかないが、これも人治主義が定着するカンボジアでは、野党が機能したとしても短期間に解決する問題ではないであろう。
さらに同氏はフンシンペック党とラナリット党が新党に合流することを提案し、与党・人民党との連立政権入りを目指していると言うが、フン・セン首相もフンシンペック党の幹事長も否定的な考えだと言われる。
 ラナリット氏はカンボジアの政治的安定に寄与するつもりかもしれないが、かえって不安定を生み出す源泉になりかねないとの懸念さえ感じる。フン・セン首相の指導力と調整力で今後10年間は安定すると予想される政治的安定の下で、ようやく軌道になり始めたカンボジア経済に波紋を投げかけるものとして注目される。

2.インド経済のアキレス腱:インフラ

  インド経済はここ数年にわたり年率68%という成長率を達成し好調さがいわれながら、依然としてかつての10年以上にわたって、日本、韓国、台湾、シンガポールなどが達成した10%を超える加速した成長はまだ実現していない。加速した成長というのは、56%成長程度からいきなり10%を超えるような成長といっていいであろう。中国がそのいい例である。なぜインド経済が加速しないかといえば、しばしば指摘される問題点の1つに道路とか水道、電気、鉄道網、などの深刻なインフラ不足の問題がある。インドのインフラを日本と比べればかなりの差があるが、人口規模が近い中国と比べても種類によっては大きな格差がある。たとえば年間の電力生産量を見ると、インドが6,333億キロワット(03年)に対し、中国は19,074億キロワット、道路舗装率はそれぞれ52.5%、81.0%、などとなっている。かくしてインド政府は現在この点を意識して、インフラの充実に大きな資金を注入しつつある。099月、ゴールドマン・サックスはインドのインフラ整備のために向こう10年間に17000億ドルの資金が必要だとの報告書を提出している。またインド政府も第115カ年計画(20072012年)で5000億ドルのインフラ投資を見込んでいる。
  インドの貯蓄率は高いため、かなり部分は自力で達成可能とも言われるが、日本の資本や技術への関心もきわめて高く、日印間のインフラに関する協力関係も急速に進みつつある。その一例は、11122日の日本経済新聞(6面)に見られる。それによれば、以下のように日印間でのインフラに関する協力関係が実行されつつある。すなわち、日印政府は122日、インド南部の都市開発で合意、対象地域はチェンナイ周辺、港湾と工場を結ぶ幹線道路、老朽化した橋の改修、などのインフラ整備や、温暖化ガスの排出が少ない工業団地の建設などの整備を進める方向で、日本側は技術者の派遣、資金面での協力を申し出ると言う。こうした日本側の動きはもともと自動車産業や電機など、日系企業の製造拠点が多く、開発支援を通じて日本企業の生産活動の後押しするのが狙いとも言われるが、インド側にとっても大きなメリットがあることは明白である。21日にはデリーとムンバイを結ぶ主要公通網の周辺に廃船処理施設などを造ることでも合意している。日本側は経産省幹部らが訪印し、インド工業省や現地州政府と協力の中身を詰める、としている。
  これはほんの一例に過ぎない。今後もさまざまな面で日印間の協力関係は続き、それがインドのインフラ不足を解消する助けになれば、日印双方にとって大きなメリットとなり、ますます日印関係の発展にも役立つ。特に、日印は幅広い分野での協力関係を構築することを目指して、本年2月包括的連携協定に署名した。これは関税の撤廃を通じて貿易、投資などの自由化の促進を始め、将来的には看護師や会議福祉士などの人材の受け入れなども伴うものであり、それらが実現すればハードと同時にソフトの面でもインドのインフラ充実に役立つばかりか、日本の資本や技術をインド側に提供する上でも、大きな意味を持つことが考えられる。

3.インドネシア・イスラム強硬派によるキリスト教排除相次ぐ

 近年、インドネシアからイスラム強硬派によるキリスト教者排除の動きがしきりに伝えられている。イスラム教徒とキリスト教徒との対立や紛争はずいぶん前からあるが、特に98年にスハルト体制が崩壊した後はいっそう顕著になっている。それはなぜであろうか。この点を理解するには少々インドネシアのイスラムとキリスト教の歴史を知る必要がある。
  大雑把に見て、インドネシアの宗派構成は、まずイスラム教が87%強、プロテスタント系キリスト教が約6%、カトリック系が3.6%ほどである。ほかにはヒンドゥ―教、仏教などがあるが、ほとんど2%以下であるが、これらは一応5大宗派に数えられている。これを見ると、圧倒的にイスラム教徒が多く、ついでキリスト教徒がおよそ10%程度いることになる。
 もともとインドネシアは建国の精神を表す「パンチャ・シラ」と「1945年憲法」によって宗教と信仰の自由が認められている。いま対立するイスラムとキリスト教に焦点を当てて考えてみよう。まずイスラムは13世紀後半にイスラム教を信仰するインドやアラブの商人が香辛料を求めてスマトラ島北端のアチェに渡来したのをきっかけにして、イスラムの布教活動が開始され、マラッカ海峡周辺からスマトラ島、ジャワ島を中心に拡大していったといわれる。これ以前の9世紀にはアチェでイスラム教への改宗が進んだとの説もある。いずれにせよ、インドネシアには早くからインド人やアラブの承認によるイスラムの影響が始まったことは間違いない。その後、インドネシアではインドネシアの風土に調和した形で、社会に浸透してきた。 こうしたイスラム教の渡来に対し、15世紀半ば、キリスト教はやはり香辛料を求めてその主要生産地のモルッカ諸島(現在はマルク諸島で、中心はアンボン)に渡来したポルトガル人宣教師が布教活動を行ったことから広まったといわれる。このため今でもキリスト教信者が多い島である。特に1970年代以後は移民政策により、イスラム教徒が増え、両者が半々の状態となっている。
  当初インドネシアのキリスト教徒はカトリック系であるが、16世紀末にジャワ島やスマトラ島に、ポルトガル人に代わって渡来したオランダ人はプロテスタント系キリスト教をもたらした。その後、1810年にイギリスがオランダを破ってジャワ島やスマトラ島への影響力を拡大するが、1824年には再び勢力を獲得したオランダがインドネシア全土に影響力を持つと、キリスト教も全体に広がり、現在に至っている。要するに、インドネシアのキリスト教はオランダの影響でプロテスタント系が主流となった。
 こうしてインドネシアは一方でイスラムが、他方でキリスト教が独自の活動を展開して、社会に浸透して行った。その結果、両者はしばしば対立し、早くは1570年にはスルタンが殺されたマルク事件、1621年のムスリム住民の殺害などが今でも話に出るほど有名である。
 しかし、独立後、両者が半々くらいのアンボンではムスリムとキリスト教徒は混在せずに別々の地域に住み、対立を防止するために住民代表によりある種の友好関係を確保するために、「ペラ・ガントン」と呼ばれる協約を結び、相互に協力作業なども行ってきた。こうした状況が崩れたのはスハルト体制が崩壊した98年以後である。
 9811月頃から、ジャワ島を中心にして宗教や民族対立を背景にした殺人、焼き討ち事件が相次いで発生した。首都ジャカルタにはマルク島出身者が多く住む地域があるが、そこでうわさによって賭博場が襲撃され、警備員やアンボン出身者や華人系住民5名が殺されるという事件が起きた。さらにジャカルタ市内の7つのキリスト教会が暴徒の襲撃を受け、14名ほどが殺される事件も発生している。

 マルク諸島でもイスラム教徒がキリスト教徒を襲う事件が相次いでいる。他の地域でもたくさんの同様の事件が起きており、それらは自然発生的なものとは言いがたい、つまり、その背後には権力闘争が絡んでいると言う説が有力である。現在のユドヨノ政権は一応イスラム強硬派に厳しい態度を取っているかに見える。たとえば、昨年912日、西ジャカルタ州ブカシでプロテスタント教会の牧師と信者が武装集団に襲撃されると言う事件が起きた。その際、ユドヨノ大統領は警察当局に容疑者逮捕を指示し、15日までにイスラム強硬派の中で最も急進的な上に、キリスト教徒や少数派イスラム教団に攻撃を続ける「イスラム防衛戦線(FPI)」のメンバー10人が逮捕された。しかし、ユドヨノ政権内部にもイスラム強硬派がいるとされ、ヨドヨノ大統領がイスラムに対して弱腰なため、強硬派勢いづいているとの批判がある。そのためか、ユドヨノ大統領は最近強硬派への厳正な姿勢を強めている。しかし、経済がうまく言っている間はユドヨノ大統領の対応はうまく行くとしても、経済がうまくいかなくなれば再び強硬派が攻勢に出る可能性は否定できない。

Y 編 集 後 記 (印刷用pdf)

会員の皆様、予定より若干遅れていました「ニュースレター第9号」をお送りします。ご覧いただけばお分かりのように、今回からわが研究所のニュースレターもサイト全体も内容は別にして、多少形式を変更し、今後はさらに変更して参る所存です。本研究所の当初からの目的は、第1にアジアを皆さんにより深く、広く知っていただくことです。この目的にしたがって、これからも努力して参るつもりです。そこで、今回は手始めに、巻頭言では今話題になっております「中国・通貨の切り上げ」に関わる問題を、中国の通貨問題の権威である、明治大学の童適平教授(元中国・複旦大学准教授)に書いていただきました。童教授は前回の「ニュースレター第8号」でも「人民元相場の安定化と金融政策」と題しまして、元の安定化の問題について大変すばらしい論考を書いていただきましたので、読者の理解を深めるためにもそれもぜひ読んでいただけますようお勧めいたします。
 続いて、青島科技大学の袁准教授に、同氏が住む青島市の最新事情の紹介を兼ねて、同市の魅力について書いていただきました。これはわがニュースレターがこれまで取り上げてきたアジアの都市の魅力を紹介するシリーズの一環であり、単なる旅行ガイドでは知りえない現地に住む方からのレポートです。3番目は国際的に大活躍中の山本尚志拓殖大学准教授に書いていただいた地域開発の観点から、航空機産業を取り上げたものであります。グローバル化とリージョナル化が進む今日、日本とアジア諸国を初めアジア各国間の関係はますます深まりつつあり、またその地域開発を航空機産業が促進するとの説は説得的です。
 4番目はここ数年、カンボジアに毎年出かけて、現地調査を繰り返すラプチェフ・セルゲイ氏の論考です。これはカンボジアの道路事情がカンボジアの国民経済と密接に関連しており、かつての悪路が少しずつ改善しつつあり、道路事情の改善が急速に進むにつれて、カンボジアの国民経済は発展を開始しつつあるとの見方を示しております。また同氏によれば、カンボジアへの進出では日系企業が他のアジア諸国に比べて出遅れているとも指摘しており、日系企業がこのチャンスを生かすべきだとも指摘しております。
  5番目は「ニュースの裏を読む」シリーズの第9回目です。今回はカンボジア、インドおよびインドネシアを取り上げました。いずれも現在話題になっているテーマですが、これらの中で特に気になるのは、インドネシアのイスラム過激派をユドヨノ政権がどう扱うか、という問題です。アジアにおけるイスラムの動きからは目が離せません。(文責:HH

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