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第8号、2010年12月15日発行 目次
無断転載禁止。著作権は各著者にあります。
  1. 巻頭言:インドネシア経済と近代化
  2. 「アジア国境の島」から経済連携協力を考える 
  3. 釣魚島衝突事件と中日関係
  4. 人民元相場の安定化と金融政策
  5. ニュースの裏を読む(8)
  6. 編集後記


I. 巻頭言:インドネシア経済と近代化 (印刷用pdf)
長谷川 啓之 Hasegawa Hiroyuki
アジア近代化研究所代表
日本大学名誉教授、経済学博士

 ASEANを中心としたアジア経済が再び注目されつつあるが、中でもASEANの中核的存在であるインドネシアが安定した動きで地域経済を牽引しつつある。かつて32年にわたる開発独裁者スハルト失脚の原因となったアジア金融・経済危機(1997年)をきっかけにダッチロールと呼ばれた政治的変動期を越えて、ようやく政治的にも経済的にも安定した発展の時代を迎えつつあるようだ。政治的・経済的安定を演出しているのは2004年に大統領に選出され、09年には6割を越す支持を得て大統領に再選されたユドヨノ大統領である。
 就任当時はかなり政治的にも経済的にも不安定な情勢であった。ところが、リーマン・ショックなどの影響で多くの国の経済が落ち込み、マイナス成長を記録する中で、インドネシア経済は08年が6.01%、09年4.55%、そして10年6.00%を達成し、今後も7%程度の成長を目指すほどになったことから、国民の支持も急速に高まっているとみていいであろう。これは高成長が続くインドと大きな違いは無く、アジア危機の頃、インドネシア経済はもう終わりだ、などと酷評されていたことを考えると様変わりである。このため、最近は日系企業の注目度も次第に高まりつつある。
 他にも主要経済指標に改善を示すものが少なくない。いまやブラジル、ロシア、インド、中国のいわゆるBRICsに仲間入りするのはインドネシア(それをBRIICsだとも言われる)だと囁かれるほどになった。また自動車大国を目指すほどにもなった。筆者がインドネシアを最初に訪問したのはクーデタが発生した65年9月30日より半年ほど前の2月末であった。当時のインドネシアはまだスカルノ体制下にあり、人々の生活はいうまでも無く、政府の政策もインフラも貧しく、日本からの賠償金で獲得した繊維工場がジャカルタ郊外の田んぼの中にぽつんと立っており、そこには壊れた機械が放置されたままであった。理由を聞くと、インドネシアには壊れた機械を直せる技術者がいないからだ、という。その後何度もスハルト体制下のインドネシアを訪れたが、少なくともジャカルタを中心に行き交う人々の服装も次第によくなり、少しずつ経済は発展しているように見えた。それでも、短期間に急速に発展した韓国、台湾、シンガポールを初めとする多くのアジア諸国には大きく遅れを取っていた。
 それがなぜ目覚しい経済発展を開始し始めたのであろうか。その原因を探るには、なぜこれまで発展しなかったのかを知る必要があろう。それは第1にこれまでの政府は表面的には安定しているように見えても、国民の多くが不満を持ち、長期的に見て政治的安定を実現できなかったことである。その背景には、スカルノ、スハルトと続く独裁政権の下で、汚職や脱税を見逃し、スハルト一族を中心とした一部特権階級が経済を支配し、石油で得た多額の外貨を湯水のごとく浪費し、長期持続的経済発展に必要なインフラや教育を初めとした環境整備を怠り、国民の能力を引き出す政策を実行してこなかったことである。特に、スハルトが66年に実権を握ってからは97年にアジア金融危機が起き、翌年失脚するまでの32年間、インドネシアはスハルト一族とその取り巻きによる政治的・経済的支配、政治家や官僚による腐敗・汚職・脱税など、目に余るものがあった。要するに、アジアNIEs、特に隣国シンガポールの経済発展方式がインドネシアではまったく機能してこなかったといえよう。
 所詮、政治的に見れば、国民が政治に権利も監視する権利も持たない独裁体制は腐敗し、国民の信頼と支持を失う。また経済的側面を見ても、貧困や所得格差を拡大し、やがて経済的停滞と混乱を招く可能性が高い。貧困率は07年以後4年連続で下がったが、総人口の13%以上がなお貧困層である。また、所得格差を表す指標として一般に使われるジニ係数(その値は0と1に間にあり、小さいほど平等)も、93年に0.344、96年0.356が07年には0.396へとやや不平等化が進み、今後さらに経済発展が進むにつれて不平等化する可能性はある。ちなみに、統計を見る限り、中国(05年0.415)、マレーシア(04年)、フィリピン(06年0.440)、タイ(04年0.425)、シンガポール(98年0.425)などと比べてもそれほど不平等とはいえそうもない。
 第2に、貧困解消に失敗してきたのは実現すべき目標に合致したあらゆる生産要素、特に人材育成を図って国民の能力を活用し、外国から資本や技術を導入し、優れた成果を実現するための経済政策を怠ってきたことを表す。シンガポールや韓国、台湾の指導者が実行してきたことを見れば、何が不足していたかは明らかであろう。これだけの資源に恵まれながら、経済的停滞と貧困を解消できないことは「政府の失敗」以外に考えられないことである。それはシンガポールのリー・クアンユーがミャンマーの経済的停滞について指摘したように、明らかに指導者の怠慢であり、改めて指導者や政府が果たす役割の重要性を示している。これらはいわばインドネシア自身の問題であり、やり方さえ間違わなければとっくに韓国や台湾をも越える豊かさを手にできた可能性すらある。それは明らかに政府の無能さを露呈するものであり、それをしばしば国民のせいにする見方があるが、大きな間違いである。信頼される政府や指導者こそは決定的に重要なのである。
 それゆえ、04年に政権を握ったユドヨノ政権が実現すべき目標も実現方法も明白であった。長期的目標である工業化や経済発展に最も重要な役割を果たすのは政府や指導者である。その意味でもユドヨノ政権による政治的安定は不可欠であり、それは適切な近代化政策、すなわち民主化に裏打ちされたものでなければならない。
 インドネシアは豊富な資源をもち、ASEANという地域協力体制も前進する中で、工業化を実現し、経済発展するために政治・社会が安定すれば、当然外国の資本が流入し、技術も入ってくる。それにはインフラ、法制度などの環境整備、人材の育成、企業環境、国民の意思統一などを中心とした、政府の適切かつ迅速な政策がまず第1の前提となる。それには市場経済化、言論の自由、民主化、人権尊重、腐敗・汚職の撲滅など、国際社会との価値観の共有も必要である。そうすれば、政治・社会の長期的な安定が維持され、強力なリーダーシップの下で近代化と持続的な経済発展が可能となる。
 だが、他の経済・社会指標の多くはアジアNIEsはいうまでもなくBRICsと比べても、まだまだ低水準にある。持続的な成長への動きは始まったばかりともいえる。インドネシアが資源を初め、多数の生産年齢人口など、潜在的に有する可能性は極めて高い。その可能性を現実のものにするにはあらゆる面で近代化を進め、政府が適切な政策を強力に実行する意思と能力を発揮することが不可欠であろう。


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